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【本感想】その名にちなんで「つまりつまるところ名前と人生の物語」

その名にちなんで

私は本を読む時期もタイミングや縁があると考えていて、今年発売された本でも、10年後に読んだほうが良い人もいると思っています。

この本がまさに私にとってそういう本で、買ったのは19歳(13年前)でしたがその時は途中で挫折してしまい、久々に「読んでみるか」と手にとったのが32歳の今でした。そして今度は最後まで読み終える事が出来たし、32歳になってこの本を読んで良かったと思いました。

以下、ネタバレも含む感想を書きますが、本を読んでない人でも読める内容になっていますので、もし良かったらお付き合い下さい。

 

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感想

この本を知ったきっかけ

雑誌でこの本が紹介されていて知りました。いろんなことに背伸びして挑戦したい年頃だったので、アメリカ文学・・・というか外国の小説自体ほぼ読んだこと無いけど、読んでみよう!と、内容に惹かれたからとか、作者が好きだったからとかそういう理由じゃなくこの本を買いました。

なので最初は、日本の小説との違いに戸惑ったし、出てくる単語(セントラル・スクエアとかリノリウムとか)聞いたことはあるけど、知らないなぁ・・・とよくわからないまま物語を読み進めることになり、そうすると「面白い」も「つまらない」もわからず、ただ読んでるだけという感じでした。

なので、当時読んだ、この本の内容はほぼ覚えていません。

唯一覚えているのがお父さんが乗っていた寝台列車が脱線事故を起こしたこと。このシーンを読む少し前に、JR福知山線脱線事故(2005年)が起こったので、その偶然にゾッとしたのを今でも覚えてます。ちょうど電車に乗っていた時に読みましたし・・・。

その偶然に怖くなったのもあって、この本を読むのをやめてしまいました。

13年後に再び読んでみる

そして、去年久々に手にとって読んでみることにしました。

きっかけは本棚がいっぱいだったので、読まない本を処分しようと思ったこと。本当、なんとなく「読んでみるか」って思っただけなので、これも縁ですね。

今度は13年前と違ってスラスラ読めて、自分の成長に嬉しくなったし、この本で描かれている異文化の世界が面白いと思いました。物語はアメリカに住むインド出身のベンガル人の夫婦から始まるので(後に息子のゴーゴリが主人公になる)、アメリカの文化もインドの文化も知らないことがいろいろありました。

 

物語に自分の人生を重ねながら読むと、異国の、自分とは異なった文化の街で暮らす寂しさや、遠く離れた家族から連絡がくる時は訃報だとか、今後遠くへ引っ越したら自分も同じ様になるのかしら・・・なんて考えて他人事ではなくとても身近に感じられました。10代のころはこの辺無鉄砲でしたね。ろくに考えてない。

 

そして両親の物語からゴーゴリの物語へ。

変な名前が嫌だと、後に改名手続きすることになるんですが、子供の頃に名前を変えようとした時は「嫌だ」と言うのが興味深いです。子供にとって急に名前を変えられるって意味がわからないし、不安な気持ちが大きいと思う。

でも、大人になるにつれ、周りにどう思われるかや、ニコライ・ゴーゴリがどんな人生を送ったのかとか知識を得るので「変えたい」となる。子供の頃変えておけばよかったのか、はたまた思春期を上手くスルーしてこの名前のまま一生過ごしたほうがいいのか?

改名した後にお父さんから名前の由来を聞かされるのですが、改名前に聞かなくて良かったし、言わなかったお父さんの優しさも胸にしみますね。

まさかお父さんの命の恩人の本の著者だったとは。ただ好きな作家だからって、ロシア人の姓を付けられたら変えたくなるのもわかる。でも命の恩人とかそういった話聞くと・・・考えちゃいますね。

 

名前は親からの最初のプレゼントとも言いますし。

 

そうやってゴーゴリのことを本で読みながら、私も改名したいな~と思ったことがあったなんて思い出したりしました。世の中に、改名したいと思った人ってどれぐらいいるんでしょう?

私は別にキラキラネームでは無いですが、姓名判断をした時悪かったのでそれが引っかかってる程度ですね。なので本気で改名するつもりは無いけど、とてつもなく不幸になったら考えるかも・・・。うーん、どうだろう。

 

その後、ゴーゴリは子供から青年になり、大人になっていきます。恋人も何人か出来ます。

自分の恋愛だとよくわからないまま失敗することも多いけど、小説の恋愛だと客観的に見られて、「これは合わないんじゃないか?上手くいかないんじゃないか?」とか見えてきます。

 

そしてお父さんの死。その前のお母さんの描写がやけに長いので、「まさか、まさかね」なんて読みながら思っていたら、本当に亡くなってしまい、もちろん悲しさはあったけど、小説としての描写の良さも感じられました。

そうそう、この小説主人公は一応ゴーゴリっぽいのですが、いろんな視点から書かれてるんですよね。お父さんが無くなる前はお母さんの日常だし、後にゴーゴリと結婚するモウシュミも最後の方では主人公のように描かれていました。そこではゴーゴリは主人公の恋人みたいな感じで。だからいろいろ見えてくることもあるし、全部ゴーゴリ視点だったらもっとアッサリした物語になっていたと思います。

お父さんの死だって、ゴーゴリは息子とは言え、やっぱりずっと一緒にいたお母さんの視点から見えてくるものが情も深いです。

 

みんないろんなことを考えていて、自分だけが考えているんじゃない。

 

今読んで良かった理由

「自分のためだよ。手遅れにならないうちに、あれこれ考えるまでもなく、枕と毛布だけを荷物にして、どんどん見聞を広める旅をするんだ。あとで悔やむようにはならない。ぼやぼやしてると手遅れだ。」P22

今でも結構手遅れだけど、32歳ならまだ挽回出来るかな?

何度もカルカッタへ里帰りして、それが子供の頃はいやだったが、いまはわかる。何度でも行けばよかったのだ。P335

この本はゴーゴリが生まれてから32歳までの物語です。私も同じ32歳。この最後でのゴーゴリの「わかる」という気持ち、私もわかります。子供の頃は見えてなかった親の気持ちが今では想像も出来るし、わかるから。

何はともあれ、そういう事が重なって、ゴーゴリという人間ができあがり、どんな人間かを決められた。予習しておけるようなものではない。あとになって振り返り、一生かかって見つめ直し、何だったのかわかろうとするしかない。これでよかったのかと思うようなこと、まるで話にならないようなことが、しぶとく生き残って最終結果になってしまう。P341

人生の中間地点でこの視点を得られたのは良かった。そうそう、予習出来てたらもっと人生上手くやれたのになーってことがたくさんある。でも後悔する時期はもう越えたので、今の自分とこれからどうやって生きていくかを考えて進むしか無い。30年後に自分の人生をどう思うのか、怖いけど人生というものも多少はわかってきたし、今までの32年間よりは後悔のないように生きたいです。

 

いろいろ書いてみたけど、主人公が32歳で物語が終わって、その気持にいろいろ共感出来たのが一番の理由です。189歳の私じゃ32歳のゴーゴリの気持ちは共感できたかな?

ここから先、33歳は物語の外へ!

おまけ

モウシュミのこのセリフもよくわかります。(苦笑)

ティーンエイジャーだった自分には、いまでも悔いが残るという。素直な子でいたことも、長く伸ばしただけの髪も、ピアノのレッスンも、レースの襟がついたシャツも。また恥ずかしいくらいおどおどして自信を持てなかったこと、思春期の体に四、五キロのよけいな肉がついていたこと。P257

ティーンエイジャーの時に後悔のない自分でいられたって子は最強だと思う。

 

終わりに

最後に好きな言葉を引用して終わりにします。

 

その子(ゴーゴリ)だって小さいんだから、そんなに行かせちゃだめという母の言葉に対して

父は「おまえはどうなんだ?」と言った。「おまえ、小さいか?そんなことないよな」P223/4

「覚えておけよ。おれたち二人で遠くへ行ったんだ。もう行きようがなくなるまで行ったんだからな」P225

 

ここのシーンが好きです。

(´-`).。oO ゴーゴリがニコライ・ゴーゴリみたいな最期を迎えるのかと内心ヒヤヒヤしながら読んでたよ・・・(その名にちなんで、だから)

そういえば映画化もされてましたね。

最後まで読み終えたし、自分の想像した映像との違いを見てみるのも楽しそうです。