カミーユ・クローデルを知っていますか?知らないなら、知らないまま観た方が衝撃的かもしれません。1988年のフランス映画です。
きっかけ
こちらの本でこの映画が紹介され、興味を持ったので観ました。カミーユ・クローデルについて多少は知っていましたが、この本でもっと知れましたし、ブーシェのことは初めて知りました。映画に「ブーシェ」とセリフで出てきましたが、この本読んでなかったら何のことかわからなかったかも。
事前知識があると、見方も変わるので知識の有る無しはどちらが良いかは難しいですね。私は知ってて良かったと思いました。というか、知ってたせいで映画の印象が変わりました。
以下、ネタバレあるので注意!
感想
約3時間の大作
まさかこんなに長い映画だと思わなかった!観終わった時は少々疲れましたが、このボリュームで飽きずに観れたことはすごい。というか、始まってすぐ映画に引き込まれてほとんど口半開き状態で観てました。(^^;)
切ない壮大なメロディー
映画の中で使われていた音楽が印象的です。
ロダンがそんなに酷く無い
ロダンとカミーユのことを知った時は「ロダンはなんて酷い男なんだ!」と憤慨したんですが、この映画だとロダンはそんな酷い男に思えませんでした。カミーユが一人勝手に狂っていくようで・・・。
でも私はやっぱりロダンは酷かったと思います。ブーシェがカミーユの指導をロダンに任せなかったら、カミーユが狂うことは無かったはず。ロダンと出会えて得たものはあっただろうけど、失った物が大きすぎる。
今を生きることは大切だけど、未来があることを忘れてはいけない。今だけ良ければいいわけがない。
弟、ポール
カミーユとのこのやりとりが好きです。
見るのは罪?
罪など存在しない
カミーユの背中が美しい
ビクトル・ユーゴの葬儀の後、喪服のカミーユが背中を出したポーズをするシーン。見た瞬間、本当に綺麗だと思いました。
カミーユの父
家族のために働いて、日曜日しか会えないお父さん。(´;ω;`)ウッ…
小鴨かわいい(*´ω`*)
かわいいなぁ。かわいいなぁ。
早くロダンから離れるべきだった
でもこの時代、カミーユ一人で彫刻家としてやっていけるのか?他に師匠を見つけるべきなのか、見つけるのは大変なのか、当時のフランスや芸術界のことがわからないので何とも言えないですが、なんとか出来なかったのかな・・・思いました。
あと、カミーユを止められる人も必要だった。ロダンの他にカミーユを支えてくれる人がいて欲しかった。家族ではない他人で。
私が望む作品を作れ
ロダンと口論するカミーユは別人。最初、ロダンと出会った少女と同じとは思えない。ここまで怒りを表現出来るって、演技だとしてもすごい。
愛ってなんだ?
ロダンの「愛してた」ってセリフの空っぽさ。全然嬉しくない感じに聞こえるのは何でだろう。
私はただ年をとった老婦人
あなたがくれたのは空虚 3倍にして返された
このセリフが痛い。ロダンはこのカミーユの絶望を、絶対にわかってないと思う。
失恋の痛手
ロダンの姉も失恋で精神を病み、修道女になったそうです。カミーユは失恋+彫刻家としての人生等、他にも要素がありましたが精神を病んでしまった。失恋って本当に辛いものです。
なんとなく失恋をいつまでも引きずるのはヨロシクナイと思っていましたが、彼女たちの存在を知り『それぐらい辛いものだと思って良い』と見方が変わりました。
もし周りで失恋に苦しんでる人がいたら、「失恋ぐらいで何だ」とは思わずに本当に辛いんだと思った方がお互いにとって良いのではないかと思います。
静かな大作
派手な演出や豪華なセットは無くても(多少あったけど)大作だと感じた作品でした。主演のイザベル・アジャーニの演技が大作たらしめてたと思います。
ひとりの女性を見つけ出そうとする映画
解説に書かれてた言葉です。うーん、私は見つけ出すことが出来たかな?
終わりに
私、ロダン嫌いすぎですね。(´・ω・`)かなりカミーユに肩入れして観てました。
ロダンの愛人だったからこそ有名になった面もありますが、それでも彼女がロダンと出会わなかったらどんな作品を残していたか、そちらの未来のほうが見たかったです。